精神論、根性論という思考放棄
いわゆる体育会系脳の人が嫌いだ。体育会系の人ではなく。精神論、根性論でなんでも乗り切ろうとする傾向が強いためだ。
全ての精神論、根性論を否定はしない。それが大事な時がある事も知っている。しかし精神論、根性論を誰かに強要してはならない。基本的に精神論、根性論で語るべき対象は自己の内面へであり、その世界から外に出すことはただの思い上がりだ。仮にそれが素晴らしい考えだったとしても、基本的に精神論や根性論は他者には届きにくいものだ。
精神論、根性論を濫用する人間に多いのは、詰めの甘さだ。精神論、根性論が常に最大の効果を持っているわけではない。むしろ論理的に考える事や、要素分解を行った方がより効率的である事の方が多い。しかしそこを疎かにして、精神論、根性論でなんとかせよというケースが多すぎるのだ。
そして哀しい事に老害は能力が低いので、思考停止をするためにかなり軽いノリで精神論や根性論を持ち出してくる。ちょっと考えたり最近の動向を理解したならば、それだけでは意味がない、もしくは、それを表に出すべきではないということがわかるはずなのにそれをしない。新しいモノを取り入れたり、変わることが嫌だからだ。