老害ブログ ~BBAもあるよ~

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老害は大分長いことやるべき仕事を行っていない

一般社員には経営を考える責任はない。経営者目線で働けというのは、経営層の職務放棄に他ならない。そもそも一般社員が経営者目線で働いたら、補完として経営層は一般社員目線で仕事をするとでもいうのか?

 

経営層が経営を考え実行するのは当たり前の事なのだ。明瞭なビジョンと戦略を実行部隊である一般社員に説き、経営を遂行するのが経営層がやるべき事であって、一般社員のやることではない。全ての責任は経営層にある。

 

しかしそのようなまともな経営をしている日本企業など数える程度だ。日本経済が停滞していたといわれる過去、いや今も老害共はずっと経営をしてしてこなかったし、していない。場当たり的な会社の延命と自己の保身しかしてこなかったのだ。

 

会社というシステムは優れており、多少のことでは止まらないから今まで日本企業は生き延びてきた。しかし成長は止まり、失われた10年は20年となった。そして30年となっていくだろう。何故か?それは老害が未だ経営を握っているからだ。

 

グローバル競争とは製品だけではなく、マネジメントも競争に大きな影響を与える要因である事を老害は気づいていない。マネジメントがどういったものかも理解しておらず、部下を管理し評定をつけること程度にしか思っていない。

 

老害は本当にただなんとなく存在していただけなのだ。やるべき仕事をせず。やるべき仕事が何かすら考えた事がないのかもしれない。いずれにせよ、そのつけを払わされるのは次世代の人間である。まだ会社が再生可能であるならばいいが、老害のつくった仕組みによって、老害老害を育てあげるような会社であるならば、逃げるしかない。

 

そんな会社が日本にはゴロゴロある。一部上場しているところだってそうだ。図体がデカイから、長く続いてるからは保険となり難い時代だ。テクノロジーの進化により、過去競合ではなかった企業が競合となって襲いかかってくる。老害にはそれを防ぐ術などない。だからやつらはひたすら保身に走り、自分が属してる間会社があれば良いと本気で思っているのだ。

BBAはテメェの機嫌を全てにおいて優先するから糞

BBAになりたい人は機嫌のままに働いてみるといいだろう。機嫌の良い日は妙ににこやかに明るく仕事も引き受け、機嫌の悪い日はため息ばかりつき、私は不機嫌だという事を全力で外に出す。これがBBA道だ。極める事によりクソババアという称号を手にいれる事も出来よう。

 

機嫌のままに働いている事は、仕事を楽しくなど微塵もしない。それどころかただただ職場環境を悪化させ、自分自身も不快になっていく。職場は人間によって構成されている以上、職場感情というものがあり、それが悪化すれば構成員一人一人も負の感情を抱きやすい。

 

BBAはその負の感情の発生源になる事の達人である。普通の大人は、組織で動く際、自身の感情コントロールの重要性を認識し、それを行う様に成長して来ているが、BBAはどこかでそれをしない事に目覚める。畜生と同じで、怒られたりしなければどんどんと尊大になっていく。それを許す無能上司とBBAを見て周囲も感情も負に導かれていくのだ。

 

何度も書いているがBBAは生産性に寄与しない。その死も含めて存在しない事が全てにとって最良なのだ。そんなBBAが不機嫌になったとて、誰がBBAの事をもっと考えてあげようという気になろうか。嗚呼BBAよ、頼むから出社しないでくれ。金をやるから。誰もお前なぞ求めていないし、皆お前の顔も見るのも嫌なのだ。

 

 

 

 

日経を読めという老害から、そのネタで面白い話を聞いたことがない

日経を読めと言ってくる老害は社会人になると必ず出会うタイプの老害の一つだ。なるほどさだめし役立てているのだろうと老害を観察していたが、仕事は浅知恵、飲み会では下品な話をしているばかりなので、なるほど日経を読むと馬鹿になるのだなと誤解したそんな時期があった。

 

日経は企業に関する情報は相対的に多い媒体だが、老害は点でしか日経を見ていないから、線で個々の企業がどのような動きになってきているか等を理解していない。だから常にどこかの企業の最新情報だけを読んで、それで満足する。そしてその情報は午後のうんこと共に体外にひねり出されて流されるのが関の山である。

 

いうなれば老害は日経を読んでいない。日経に表示されている文字を網膜に写しているが、それを脳を使って考え咀嚼しない。円安になると輸出企業は大変で、円高になると海外旅行が安くなる程度の知能しかない事も理由だが、老害は「この前日経に載ってましたねぇ」と言うため以外に日経を使わない。とにかく読むことが読む理由なのだ。会議のために会議をしている老害らしい程度の低い行為だ。

 

その一方で日本経済新聞日本経済新聞というタイトルであるから日本経済の全てを網羅していると老害は思っているのか、日経への信奉具合が半端ない。以前適当に「~って日経に載ってましたよねぇ」と話したところ老害は載っていたと言っていた。これによりやはりこいつは日経を読んでいないという事がわかった。所詮老害は無能なので、権威にすり寄っているだけなのだ。

 

何がどう面白いのか、何がどう役立つのかを深いレベルで語れない老害ごときに、何らかの読書媒体を薦める資格はない。ただの日経勧誘員だ。いい歳をしているならば、記事に対して独自の考えをスマートに話したり、日経を読んでいるからこそ出てくるユニークな発言をして、態度から「あの人はどうやって情報収集をしているのだろう」と思わせるようにすべきなのだ。

 

ま、老害には無理だ。

無能・無気力な管理職はそれだけで害。つまり老害

ピーターの法則によればそれはやむを得ない事なのかもしれないが、日本の管理職は本当に無能が沢山居る。奴ら老害は、自社がグローバル競争時代で生き抜けない事をうすうす悟りつつも何もしない。マジで心底「自分がいる間さえ会社が持てばいい」と思っている。ときにはそれを笑って年下の人間に話す。会社を救うどころか、会社に巣食っている。早く死ね。

 

無能な管理職というのは、たいがい真っ当な感性の新人に劣る。新人にすらわかるような異常を放置し、組織の士気を低下させ、結果生産性を下げる。モチベートするという頭もなく、人間的に魅力もないから、怒ったり叱ったりという低脳の方法をもって、解決策とし、更に組織の士気は低下していく。

 

その一方でBBAは放置する。BBAの存在によって本来の働きが出来なかったり、不快な気分を抱いている一般社員のためにBBAと対決する事はなく、一般社員をBBAへの犠牲に差し出す。

 

無能が故に無策なので上への言い訳を考える事に終始する。考えも浅いのでそれをさとられぬ様、自分の上からの指摘は、話を遮りつつ、かつ、結論から話さないでダラダラと言い訳をならべる。上司の上司も大概アホなので、なんとなくそれを許容する。一般社員はそれを横目に深い溜息を吐く。

 

無能な管理職は感性が死んでいる。BBAを放置し、窮状を訴える声にはトンチンカンな返事を返し、直言されると逃げ、無能である事を惜しげもなく晒し、一般社員の絶望を深める事だけが得意だ。

 

そんな管理職が変わることは期待してはならない。期待するだけ無駄なのだ。管理職の上の上がまともな人間なら、何とかしてくれを上げ続け、無能老害上司を飛ばす事が期待できるが、上の上も無能老害ならば、会社を変えるのが最も正しい選択だ。

 

その職場に居ることで自分が得ているストレスというのは、僅かな積み重なりであるが故に気づける事は少ない。ただ、自分の転職市場における価値も同様だ。そして多くの企業が重視する年齢は、減ることのないものだ。会社は1つではない。最低でも、直ぐにエージェント登録するぐらいの行動を起こしたほうがいい。

 

BBAを聖域化している事は重大な生産性の低下要因である

BBAという生き物はヒステリーや独自理論を振りかざし、およそ他人に愉快という感情を与える事のないゴキブリに近い生き物であるため、会社では暗黙の了解の元、隔離処理が成される事が殆どだ。ゴキブリは不快害虫という立派なジャンルの圧倒的王者である事は皆さんもご理解の通りで、人間界でそれに比肩するのがBBAである。

 

ゴキブリが人間様に影響を与えないよう、きっちり領域をわけ、ゴキブリであるBBAは人間界の外で過ごすのがあるべき姿だ。伝染病の隔絶対応の様なものだと考えて頂きたい。

 

しかし哀れなる知能を有するBBAはそれを特権階級を手に入れたと大喜びし、あれやこれやと口を挟み自らの帝国を築こうとする。自分の身の回りにゴキブリが居てもそうするように、皆被害を最小限にするように動き、本来BBAを撲殺する義務のある上長すらも逃げる。

 

上長はBBAから逃げてはならない。上長は管理職として、部下が最高のパフォーマンスを出せる様な環境を提供するのが重大な職責であるため、BBAを本来追放するかナウシカが蟲を導くかの如くゴキブリの世界へBBAを返すべきなのだ。

 

残念ながら多くの管理職はそのようなことをしない。自らがBBAの標的になるのを恐れ、また面倒くさがり、腫れ物に触るような対応をするのが日本中どこでも展開されている。

 

しかしどんなラグジュアリーホテルにいようとも、白砂と青空と透き通る海にいようとも、ゴキブリが出たら全ては終わりである。BBAはゴキブリでゴキブリがBBAなのだ。最善策はゴキブリが出ない事、すなわち部・課への侵入防止、または卵の徹底駆除、それが突破されたのなら徹底的な駆逐、弱体化が最もマネジメントに求められる行為なのだ。

 

性別という盾により、BBAが生産性を強烈に押し下げている事は周知の事実であるのに、公に語られる事は少ない。不快害虫が目に入り、時に自分が絡んでくる環境下でこそパフォーマンスをさらに上げられる人間というのは絶対に多くは無い。働き方改革とは生産性をいかに上げていくかが課題だ。であるならば真っ先に手をつけるべきはゴキブリと同程度の被害をもたらすBBAの追放か処分から取り組むべきなのである。

「常識」という言葉を都合良く利用する老害とBBA

老害とBBAは自分が蛇蝎のごとく嫌われているという客観的な視点が持てないにも関わらず「常識」という言葉を多用する。もちろん老害とBBAの言う「常識」とは「一般的にだいだいこうだという共通解釈がなされている物事」ではなく、自分の主張を通さんがために使う隠れ蓑に過ぎない。冷静に質問を重ねれば論破出来る愚にもつかない脳みそが腐りそうな馬鹿話だ。

老害とBBAは人間よりも動物に近いので、仕事における人間同士の感情の機微であるとか思いやりの気持ちがわからない。なので全く不必要なマウンティングをしたがる。サル山で赤い尻をむき出しにしながらキーキーと喚く獣と一緒だ。とても心が痛むことに、新人やおとなしい人がマウンティングの対象になる。老害とBBAは本能的には自分のやっていることは極めて無価値で、自分は実力もなく、存在意義が無い事を理解しているため、それを振り払うかのようにマウンティングを行い自己肯定を行う。やつらは本能的にマウンティング出来る対象を見つけ出し、マウンティングによって自己肯定を行う。もっと言えば自慰行為に過ぎない。

ちょっと振り返れば老害とBBAに肯定出来るような要素など、反面教師の部分でしかない事は皆が同意するところであろう。そしてその教師の講義費は実に高い。合理性を追求すべき会社においてもっとも非合理的である事はいうまでもない。「こんなの常識だろ?」「これは常識のレベルなので覚えておいてください」等等、見聞きした覚えはないだろうか?その常識とは老害とBBAの生きている極小の世界、かつ老害とBBAに都合のいいように湾曲された内容なのだ。老害とBBAの常識は遠慮なく世間の非常識であり、やつらが常識を持ち出す時は、それを理論的に、相手に納得させるように説明が出来ないニオで、ゴリ押しをしたいだけなのだ。

シンプルに何故そうなっているのですか?を5回も繰り返せば「とにかくそうなっている」等と言い出す。「それって正しさを保証しないですよね」等と追い打ちをかければ発狂ルートだ。愚かにもマウンティングでしか自己肯定出来ない老害とBBAが、ヒステリックに喚く様子を獣に重ね合わせながら、薄笑いで見つめてあげよう。

ヒスBBAは人類の敵

ヒスBBAはこの世に要らない。BBAのヒステリー程醜悪なものはない。言ってる事は無茶苦茶、声のトーンも不快、不快な存在にも関わらず平然とした顔をして存在しているのもまた苛立ちを促進させる。

BBAに自分を省みてほしいなどとはもはや願わない。愚かなるBBAにはそんな事は無理だし、そこからの自己改革などBBAには出来やしないのだ。だからBBAには死か消え去ることを誰もが願うのだ。

自分がお局かも?と思っているお前。いや思っていなくてもよい。お前はお前の死を毎日願われている。お前と(仕方なく)笑顔で接してるその相手もお前の死か消滅を願っている。お前のような本質的な物事の理解が出来ず、些末な事にこだわり、ヒステリーをおこし、人の尊厳を踏みにじり、悪質で陰湿な、生産性を下げるような人間は、当然誰にも好かれはしない。たまたま殺人のネガティブインセンティブが高いだけが故に、お前は殺されていないだけだ。代わりとして死を願われている。

そんなBBAの存在価値は消費者としてしか存在しない。親の財産を消費へいざなうニートの方が、周囲の生産性や精神健康にマイナスダメージを追わせるBBAよりもよほどマシだ。BBAはいない事が会社にとって最大の貢献なのだ。BBAが存在していて良い事など存在しない。BBAの価値と思われているものは幻想であり、容易く代替が可能なものだ。BBAは不要。これが人類の結論である。