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見て盗めという老害の積極的指導放棄

職人の世界でよく聞く「見て盗め」という言葉がある。多くの人がなんとなく聞いたことはあると思うが、恐らくは自主性がなければ意味がないという事あたりから出て来た言葉なのだろう。指導をする時間は一定水準に達した職人の生産性を奪い、かつ指導の必要性についても特殊な状況にあるので、その世界では通用したのかも知れない。

 

しかしこれを会社に持ち込む思考停止野郎が居る。会社というのは存続と発展を目的とするが故に、様々なものの代替が可能でなければいけない。代替可能な柔軟性を持つ事が存続と発展の条件であるからだ。設備や時には事業ですらそうなのだから、よほどの才能の持ち主のみで成り立っている会社でなければ人間ですら代替可能なのが当然であり、その様に指導し育成する事が必要となる。

 

老害はこれを面倒くさがる。彼らは無能なので指導や育成が出来ない。しかしそれを認めるわけにはいかないので「見て盗め」という、条件の異なる別の世界の事を持ち出し、自己の行為を正当化する。多少良くても聞いてこないお前が悪い等と言い出し、あくまでも自分を省みることはしない。老害臭やBBA臭のキツい人間には近づきたくないという、当たり前の事もわからないほど脳をやられているのだ。

 

また職人の世界のような「その物・事が好きで入ってくる」「選択肢が限定されている」という動機が根底にある状況と、一般的な会社の違いも理解できない。自分も指導されなかったからという負の連鎖に積極的に加担し、お前も嫌な思いをしろと強いてくる。

 

この様な老害は先に述べた会社の目的に反する存在であるため、駆除されて然るべきなのだが、指導が出来ようと出来まいと年功序列でここまで来た層が経営の実権を握っているため、指導の巧拙は評価対象にすらならない。共犯者の如く老害同志がかばいあい、それに愛想が尽きた若手は去り、かくて老害の楽園は維持されていくのである。